2025-05-08
母の日
『母の日』は、母親の日ごろの苦労をねぎらって、母親に感謝する日として家族で集まって一緒に食事をしたり、贈り物やお花を贈ったりしますね。お花は、『赤いカーネーション』お贈ることが有名です。
『母の日』は、国によって祝う日が違ったり、起源も諸説あります。日本、アメリカ、ドイツなど多数の国では、5月の第2日曜日に祝われます。ノルウェーでは、2月の第2日曜日、フランスやスウェーデンでは5月の最終日曜日に祝われます。日本の『母の日』は、アメリカに倣って祝われるようになりました。
アメリカの『母の日』は、アンナ・ジャービスという女性が彼女の母の死後、母親を称える日を創立したのが始まりです。アンナの母親であるアン・ジャービスは、社会活動家であり、1850年頃に母子感染による乳児死亡率の低減を目的としたボランティア団体を作り、子どもの衛生状態の改善と母親たちの病気治療を行いました。貧しい人々や病人に医療や看護ケアを提供し、結核患者を援助する活動もしていたそうです。南北戦争(1861年-1865年)の際には、敵味方関係なく病気やけがをした兵士を看護し、多くの命を救いました。アン・ジャービスは、平和や社会が良くなることを願い、特に母親を称える日を創設することを望んでいましたが、1905年に亡くなりました。
娘のアンナは、「生きている間に母へ感謝の気持ちを伝える機会を設けるべきだ」と考え、母アンの追悼と母親を称える日の創設を働きかけるために、母アンの命日に一番近い日曜日だった1908年5月の第2日曜日に教会で追悼会を開きました。この追悼会では、母が生前好きだった白いカーネーションを祭壇に飾り、集まった全員に白いカーネーションを配って『母の日』の重要性を伝えました。この行動は多くの人に感動を与え、デパート王と呼ばれた実業家ジョン・ワナメーカーの後援を受けてアンナの考えはアメリカ全土に広がりました。そして、1910年ウエストバージニア州で『母の日』が認定され、1914年5月9日には、ウッドロウ・ウィルソン大統領が「5月第2日曜日を全米の母親に敬意を表して、アメリカ市民が旗を掲げる日」とし正式に『母の日』となりました。
『母の日』は、明治時代(1868年-1912年)の末頃、アメリカから日本に伝わり、大正時代(1912年-1926年)まではキリスト教の行事として祝われていました。その後、昭和11年(1936年)に森永製菓が各団体に協力を呼びかけ『母の日中央委員会』を設立、普及活動を始めました。昭和12年(1937年)には、『母をたたえる歌』を募集し、『森永母の日大会』を豊島園で開催しました。『母をたたえる歌』の募集は大反響で1万5千件以上の応募があったそうです。この時、20万人ものお母さんたちが無料で招待され、招待券には豊島園の入場引換券や森永のお菓子引換券、福引券などがついており園内は大変賑わったそうです。新聞や雑誌にも大きく取り上げられ『森永母の日大会』は、全国の主要都市で毎年開催されるようになりした。戦時中は中断されましたが、昭和22年(1947年)に再開され、アメリカに倣って5月の第2日曜日が正式に『母の日』として制定されました。
カーネーションを贈る理由は、アンナが母親の追悼式に母が好きだった白いカーネーションを祭壇に飾ったことが、きっかけです。また、キリスト教では、聖母マリアが我が子であるキリストが十字架にかけられ処刑される時に流した涙のあとから赤いカーネーションが咲いたと言われており、赤いカーネーションは、母親と子供の愛情の象徴とされています。このことから、お母さんが亡くなっている場合は『白いカーネーション』、健在の場合は『赤いカーネーション』を贈るようになったと言われています。
2025年の『母の日』は、5月11日(日)です。
皆さんの感謝の気持ちを是非、伝えましょう。
日本文化研究ブログ Japan Culture Lab 参照
https://jpnculture.net/hahanohi/